2011年09月17日
青の洞門を国道から!
大分県中津市耶馬溪町の青の洞門を国道から撮影、中学1年の国語で「恩讐の彼方に」菊池寛、で
舞台になった青の洞門、越後に住んでいた時、上司の愛妾と密通し、手打ちになるところが、逆に殺害、
女と一緒に逃走し、鳥居峠(長野県)で茶屋を、裏では辻斬り強盗の非道をしていたが、女の強欲に
嫌気がさして、1人で諸国を放浪、改心し、禅海と名を改め、僧になり、この地が断崖絶壁で、住人が、
難儀していたので、トンネルを掘り進めるが、昔、殺害した上司の息子が仇討ちに参上する。
トンネルが貫通するまでと、一緒に掘り進める。
完成し、仇討ちを促すも、住人に慕われる禅海を討つ事は出来なかった。
上記のような小説ではなかったかと思いますが、禅海は実在したが、仇討ちは菊池寛の創作です。
実際は寄付金を集め、石工を雇って、掘り進め、諸藩の大名にも働き掛け、自分の墓所を確保し、
完成後は通行料を徴収し、日本最初の有料道路とか!
距離が150㍍だったそうですが、殆んどが、拡張工事で変革し、230年前の名残は20~30㍍
位でしょう。昔のままなら、世界遺産になったかも?
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2011年09月12日
青の洞門、大分県中津市耶馬溪町
中津市の帰りに、助手席から撮影、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で知られるようになったが、
映像は、当時の面影は全く無くなり、戦前は、軍が乱暴に拡幅し、国道になると直線化し、
禅海和尚が掘削したトンネルは歩道の脇から数十メートル、小説の舞台に成るとは誰も
思わなかったのでしょう!和尚は実在の人物ですが、仇討ちは創作です。
230年前の完成時とは違いますが、当時が偲ばれます。
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2011年09月12日
耶馬溪、青の洞門
9/9(金)早朝6時過ぎ撮影
座標: 北緯33度30分00.5秒 東経131度10分18.5秒 / 北緯33.500139度 東経131.171806度 / 33.500139; 131.171806 青の洞門(あおのどうもん)は、大分県中津市本耶馬渓町にある耶馬渓の山国川に面してそそり立つ競秀峰の裾にある洞門(隧道、トンネル)である。大分県指定史跡。全長は約342m。完成年は1750年(寛延3年)とも1763年(宝暦13年)ともいわれている。
概略 [編集]
諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇って「ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた」といわれている。この逸話を元にして書かれたのが菊池寛の『恩讐の彼方に』である。
現在は、自動車を通過させるため(旧国道212号)、完成当時よりかなり変形しているが一部にノミの跡が残っている。地形の関係上車幅が狭く、信号を使った交通整理(片側交互通行)が行われている。
開通後、禅海が通行人から通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路ともいわれている。
1950年(昭和25年)に耶馬日田英彦山国定公園に指定。晩秋の紅葉時期は特に観光客が多い。
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