2011年11月13日
<福島第1原発>吉田所長 「死ぬだろう」と思ったこと数度
<福島第1原発>吉田所長 「死ぬだろう」と思ったこと数度
記者団の質問に答える吉田昌郎福島第1原発所長=福島県大熊町の福島第1原発で2011年11月12日午後1時10分(代表撮影)
東京電力福島第1原発の吉田昌郎所長と記者団の主なやりとりは次の通り。
--報道陣の前で初めて話すことになるが、国民にまず何を伝えたいか。
◆私が責任者の発電所で事故を起こしてご迷惑、ご不便をおかけしたことを心よりおわびしたい。日本全国、世界から支援の手紙や寄せ書きをいただき、特に被災された福島県からの支援の言葉は大変励みになっている。
--これまで一番厳しかった状況は。
◆やはり3月11日からの1週間。次がどうなるか私にも想像できない中、できる限りのことをやった。感覚的には極端に言うと「もう死ぬだろう」と思ったことが数度あった。
--1号機が水素爆発した時の状況とその時、感じたことは。
◆まず「ボン」という音を聞き、「何なんだ」と。現場から帰った人間から「1号機が爆発しているみたいだ」という情報が入ってきた。3号機は音と、(テレビの)画像で見た。4号機は本部にいて音は聞いたが、2号なのか4号なのか分からず、その時は(どちらか)判断できなかった。
--「死ぬかと思った」時とは。
◆1号機の爆発があった時、どういう状況かが本部では分からなかった。現場からけがをした人が帰ってくる中、格納容器が爆発していれば、大量の放射能が出てコントロール不能になる(と思った)。3号機も爆発し、2号機の原子炉にもなかなか注水できず、先が見えない。最悪の場合、メルトダウンもどんどん進んでコントロール不能になるという状態で「これで終わりかな」と感じた。
--危機を脱したのはいつごろか。
◆(爆発の)次は4月初めに高濃度の汚染水が漏れ、水処理(設備)を一生懸命造った。6月いっぱいぐらいまではかなり大変な思いをした。全体のシステムとして本当に安定したのは7、8月だと思う。
--原子炉の現在の状態は。
◆私がデータを見て確認している限り、原子炉は安定していることは間違いない。ただ「超安全」ということではない。線量は非常に高く、日々の作業という意味ではまだまだ危険もある。周辺住民に安心いただける程度に安定しているが、(事故収束の)作業はまだ厳しい状況だ。
--1、3号機は燃料が溶融しているが、安定させられるのか。
◆原子炉の各部の温度変化などを見る限り、燃料が外に出ていたとしても、圧力容器だけでなく格納容器も含めて、原子炉全体が冷却されており、安定だと判断している。
--今困っていることは。
◆今日明日の問題というわけではないが、近い先を見ると、作業員の被ばくや、どういう形で人を回していくのかが頭の痛い課題だ。
--所長自身の積算放射線量は。
◆個人情報なので差し控えるが、それなりにはなっている。
--今後の取り組みは。
◆(事故収束工程表の)ステップ2の確実な終了が一つの目標。現場の状況を踏まえ、(中長期の)次のステップ(に必要なこと)を考えて提言し、作業をこなすことが福島県民のニーズに応えることになると思う。
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英国の新聞では、今後の死者数は100万人と報道、それを韓国も報道しているが、日本のメディア
は一切、報道無し、避難区域が30㎞と拡張され、避難訓練をするそうだが、絶対安全なら訓練の
必要無し、吉田所長の話でも、危機的な状況で、今後も厳しい状況みたいですね!
30㎞圏内の企業も移転する事を検討するかも、そうなれば、唐津市の妙見工業団地、伊万里市の
半導体企業、大手造船所も撤退し、原発の恩恵どころか、失業者が増え、地域も衰退し、
住宅の建設も30㎞以上の場所が良さそうです。
記者団の質問に答える吉田昌郎福島第1原発所長=福島県大熊町の福島第1原発で2011年11月12日午後1時10分(代表撮影)
東京電力福島第1原発の吉田昌郎所長と記者団の主なやりとりは次の通り。
--報道陣の前で初めて話すことになるが、国民にまず何を伝えたいか。
◆私が責任者の発電所で事故を起こしてご迷惑、ご不便をおかけしたことを心よりおわびしたい。日本全国、世界から支援の手紙や寄せ書きをいただき、特に被災された福島県からの支援の言葉は大変励みになっている。
--これまで一番厳しかった状況は。
◆やはり3月11日からの1週間。次がどうなるか私にも想像できない中、できる限りのことをやった。感覚的には極端に言うと「もう死ぬだろう」と思ったことが数度あった。
--1号機が水素爆発した時の状況とその時、感じたことは。
◆まず「ボン」という音を聞き、「何なんだ」と。現場から帰った人間から「1号機が爆発しているみたいだ」という情報が入ってきた。3号機は音と、(テレビの)画像で見た。4号機は本部にいて音は聞いたが、2号なのか4号なのか分からず、その時は(どちらか)判断できなかった。
--「死ぬかと思った」時とは。
◆1号機の爆発があった時、どういう状況かが本部では分からなかった。現場からけがをした人が帰ってくる中、格納容器が爆発していれば、大量の放射能が出てコントロール不能になる(と思った)。3号機も爆発し、2号機の原子炉にもなかなか注水できず、先が見えない。最悪の場合、メルトダウンもどんどん進んでコントロール不能になるという状態で「これで終わりかな」と感じた。
--危機を脱したのはいつごろか。
◆(爆発の)次は4月初めに高濃度の汚染水が漏れ、水処理(設備)を一生懸命造った。6月いっぱいぐらいまではかなり大変な思いをした。全体のシステムとして本当に安定したのは7、8月だと思う。
--原子炉の現在の状態は。
◆私がデータを見て確認している限り、原子炉は安定していることは間違いない。ただ「超安全」ということではない。線量は非常に高く、日々の作業という意味ではまだまだ危険もある。周辺住民に安心いただける程度に安定しているが、(事故収束の)作業はまだ厳しい状況だ。
--1、3号機は燃料が溶融しているが、安定させられるのか。
◆原子炉の各部の温度変化などを見る限り、燃料が外に出ていたとしても、圧力容器だけでなく格納容器も含めて、原子炉全体が冷却されており、安定だと判断している。
--今困っていることは。
◆今日明日の問題というわけではないが、近い先を見ると、作業員の被ばくや、どういう形で人を回していくのかが頭の痛い課題だ。
--所長自身の積算放射線量は。
◆個人情報なので差し控えるが、それなりにはなっている。
--今後の取り組みは。
◆(事故収束工程表の)ステップ2の確実な終了が一つの目標。現場の状況を踏まえ、(中長期の)次のステップ(に必要なこと)を考えて提言し、作業をこなすことが福島県民のニーズに応えることになると思う。
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英国の新聞では、今後の死者数は100万人と報道、それを韓国も報道しているが、日本のメディア
は一切、報道無し、避難区域が30㎞と拡張され、避難訓練をするそうだが、絶対安全なら訓練の
必要無し、吉田所長の話でも、危機的な状況で、今後も厳しい状況みたいですね!
30㎞圏内の企業も移転する事を検討するかも、そうなれば、唐津市の妙見工業団地、伊万里市の
半導体企業、大手造船所も撤退し、原発の恩恵どころか、失業者が増え、地域も衰退し、
住宅の建設も30㎞以上の場所が良さそうです。
Posted by アイル新日本 at 05:03│Comments(0)
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