2011年08月19日
町民の5割、生活の糧--佐賀・玄海町
◇町長「薄いベニヤ板に乗せられていたようだ」 町民の5割、生活の糧--佐賀・玄海町
「何ば言いよるんだ、この人は!」。7月6日、佐賀県玄海町の町長室に岸本英雄町長の怒声が響いた。矛先はテレビに映る菅直人首相。全原発の安全評価(ストレステスト)実施を表明したことを報じていた。
町長は2日前、全国に先駆け玄海原発2、3号機再稼働への同意を九州電力に伝えたばかり。首相のひと言で海江田万里経済産業相の「安全宣言」は宙に浮き、町長は「ばかにされた」と同意を撤回。再稼働は見通せなくなった。
県の北西端にある玄海町はかつて、貧しい寒村だった。県から原発計画の話を持ちかけられたのは1965年。農漁業以外に目立った産業はなく、町民約8000人の1割近くが関東や関西に出稼ぎに行った。町区長会の渡辺正一会長(57)は「どの企業も来てくれず、誘致したのが原発だった」と話す。
誘致が決まると、原発マネーが流れ込んだ。町が受け取った電源3法交付金は総額265億円。町民会館に26億円、温泉施設に17億円、老人ホームに23億円と豪華な公共施設を並べても、お釣りが来た。「ようやく人並みの生活ができるようになった」。山崎隆男元町議(85)は振り返る。「豊か」になるに連れ、反原発の声もなりを潜めた。
だが、原発マネーは依存構造を生んだ。歳入の6割以上を原発関連が占め、「町民の5割が原発を生活の糧にしている」(岸本町長)。半面、人口は減り続け、他産業は育たず農漁業の担い手も半減した。
一方、原発の固定資産税は減価償却が進むにつれ年々減る。2号機稼働から10年過ぎた90年代初め、町財政は縮小傾向にあった。息を吹き返させたのは3号機(94年)、4号機(97年)の相次ぐ稼働。06年には3号機で国内初のプルサーマル発電に同意し、核燃料サイクル交付金30億円も入ることになった。
財政が先細ると原発特需がカンフル剤のように効く図式。4号機稼働から14年がたち、岸本町長は「老朽化した1、2号機に代え、5号機が必要」と唱えるようになっていた。3月11日までは--。
町の将来には今、菅首相の「脱原発」宣言が影を落とす。2、3号機は再稼働の見通しが立たず、1、4号機も年内に定期検査に入る。今年度1億5000万円を見込んだ核燃料税は途切れ、作業員が消えた旅館や飲食店は閑古鳥が鳴く。町民からは「原発がなくなれば真っ先に隣の唐津市に吸収される」との声も漏れる。
「薄っぺらいベニヤ板に乗せられていたようなものだ」。国策頼みの町が国策によって行き詰まり、町長の苦悩は深まる。財政的な自立の道も模索し始めたが、「原発依存をどう是正していくか思い当たらない。廃炉までの期間、貢献度などに応じた交付金で埋めてほしい」と本音を漏らした。
<心夢見るアトムの町>。町の入り口の県道沿いに看板が立つ。通り過ぎる車はめっきり減った。町財政を分析した伊藤久雄・東京自治研究センター研究員は指摘する。「依存体質を変えないと町は倒れる。だが、その体質は国と電力会社が押しつけて生まれたもので、貧しい町が狙われた」
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「何ば言いよるんだ、この人は!」。7月6日、佐賀県玄海町の町長室に岸本英雄町長の怒声が響いた。矛先はテレビに映る菅直人首相。全原発の安全評価(ストレステスト)実施を表明したことを報じていた。
町長は2日前、全国に先駆け玄海原発2、3号機再稼働への同意を九州電力に伝えたばかり。首相のひと言で海江田万里経済産業相の「安全宣言」は宙に浮き、町長は「ばかにされた」と同意を撤回。再稼働は見通せなくなった。
県の北西端にある玄海町はかつて、貧しい寒村だった。県から原発計画の話を持ちかけられたのは1965年。農漁業以外に目立った産業はなく、町民約8000人の1割近くが関東や関西に出稼ぎに行った。町区長会の渡辺正一会長(57)は「どの企業も来てくれず、誘致したのが原発だった」と話す。
誘致が決まると、原発マネーが流れ込んだ。町が受け取った電源3法交付金は総額265億円。町民会館に26億円、温泉施設に17億円、老人ホームに23億円と豪華な公共施設を並べても、お釣りが来た。「ようやく人並みの生活ができるようになった」。山崎隆男元町議(85)は振り返る。「豊か」になるに連れ、反原発の声もなりを潜めた。
だが、原発マネーは依存構造を生んだ。歳入の6割以上を原発関連が占め、「町民の5割が原発を生活の糧にしている」(岸本町長)。半面、人口は減り続け、他産業は育たず農漁業の担い手も半減した。
一方、原発の固定資産税は減価償却が進むにつれ年々減る。2号機稼働から10年過ぎた90年代初め、町財政は縮小傾向にあった。息を吹き返させたのは3号機(94年)、4号機(97年)の相次ぐ稼働。06年には3号機で国内初のプルサーマル発電に同意し、核燃料サイクル交付金30億円も入ることになった。
財政が先細ると原発特需がカンフル剤のように効く図式。4号機稼働から14年がたち、岸本町長は「老朽化した1、2号機に代え、5号機が必要」と唱えるようになっていた。3月11日までは--。
町の将来には今、菅首相の「脱原発」宣言が影を落とす。2、3号機は再稼働の見通しが立たず、1、4号機も年内に定期検査に入る。今年度1億5000万円を見込んだ核燃料税は途切れ、作業員が消えた旅館や飲食店は閑古鳥が鳴く。町民からは「原発がなくなれば真っ先に隣の唐津市に吸収される」との声も漏れる。
「薄っぺらいベニヤ板に乗せられていたようなものだ」。国策頼みの町が国策によって行き詰まり、町長の苦悩は深まる。財政的な自立の道も模索し始めたが、「原発依存をどう是正していくか思い当たらない。廃炉までの期間、貢献度などに応じた交付金で埋めてほしい」と本音を漏らした。
<心夢見るアトムの町>。町の入り口の県道沿いに看板が立つ。通り過ぎる車はめっきり減った。町財政を分析した伊藤久雄・東京自治研究センター研究員は指摘する。「依存体質を変えないと町は倒れる。だが、その体質は国と電力会社が押しつけて生まれたもので、貧しい町が狙われた」
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Posted by アイル新日本 at 11:21│Comments(0)
│原発