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2012年02月02日

葬式は何時の時代から!

 「葬送」に仏教が関わり始めたのは、平安時代の後半、末法思想が流布し、浄土系の思想が広まった頃です。恵信僧都源信の著作『往生要集』が非常に大きな影響を及ぼしたとされています。

 ただ、「人の死」や「供養」に仏教が関わり始めたのは、もっと早い時期になり、平安時代初期には今で言う「法事」のような形でお経を唱えたり、僧侶が経典の講釈をしたりすることが行われていました。末法思想や浄土思想の流布とともに、いきなり仏教が死に関わり始めたわけではなくて、前駆段階があったわけです。

 鎌倉時代以降になると、葬送に仏教が関わることは通常に見られるようになり、位牌など現在に通じる習慣が見られ始めます。

 さらに時代が下って江戸時代、統治システムとして寺請制度が確立すると、現在に通じる檀家制度が徹底され、その形が現在に通じて残っている、という感じになるかと思います。

 仏教は、もともと祖先崇拝や死者儀礼を行う宗教ではないので、これという典拠になる経典はありません。(たぶん)
 寺請制度というのは、キリシタン弾圧と民衆・寺社の統制を主眼にして作られた制度なので、仏教の教義とは関係ありません。

 死者儀礼と関わり深めつつあった仏教。そして幕府は、一向一揆のような宗教勢力と民衆との結びつきや、少し前まで大名の如き武闘勢力であった寺社を警戒し、さらにキリシタンのあぶり出しに躍起になっていた・・・教義とは関係ないところで、状況的に考え出された制度が寺請制度なわけですが、ある意味、幕府としては一石二鳥、三鳥の大ヒット施策となりました。

 寺請制度下の法事は、お寺さんが家に上がってその家の祖先祭祀を確認、キリシタンでないことを確認した、という側面がありました。
 地方地域で制度運用の厳格さは異なるでしょうが、仏式で葬儀を行うこと、法事を営むことが義務化され、行わないことは即「キリシタン」として扱われるという厳しい地域があったことが文書等で確認されています。

 現在、法事が三十三回忌や五十回忌まで回数があるのは、この頃にキリシタンでないことをチェックする機会を増やすという名目で増やされた、ということも言えます。(寺院側も、制度にかこつけてけっこう悪ノリしていたフシもあります。)

 悪く言うつもりはないのですが(←自分は葬祭関連業者で働いているから・・・)、大雑把な経緯からすると、教義から外れたところで妙なことをやっているという印象があるかもしれません。

 ただ・・・日本で徐々に広まった死を恐れ「穢れ」とする考え方や、祖霊への畏怖や崇拝、現世の他に祖霊が住むところがあるという他界観などに対処・対応する儀式儀礼を提供するという形で、上手い具合に仏教がポジションを得た、という側面もありますし、本来外来の宗教であった仏教が、神道と上手く住み分けている状況を作ったとも言えます。
 個人的には、日本に渡ってきた仏教が、死者儀礼と関わるようになるのはある種の必然ではなかったかと思っています。江戸幕府はそこを上手く利用した、というところかと。
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Posted by アイル新日本 at 14:43│Comments(0)宗教
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