2011年08月15日
大分 「最後の特攻隊」慰霊祭
終戦の日の15日、大分市では、終戦の玉音放送のあとに、上官の命令で出撃し命を落とした、「最後の特攻隊」を追悼する慰霊祭が行われました。
66年前の8月15日、終戦を伝える玉音放送のあと、大分市内にあった海軍航空隊では、司令官の命令で、この司令官を含む23人が特別攻撃隊として沖縄方面に出撃し、このうち18人が命を落としました。この事実を後世に伝えていこうと、大分市内の慰霊碑の前で、「最後の特攻隊」と呼ばれる隊員たちが出撃した時刻の午後4時半に合わせて、慰霊祭が行われました。慰霊祭には、地元の人などおよそ30人が参列し、地区の自治会長の本田栄さんが「最後の特攻隊のことをしっかりと語り継ぐことで、平和をつくる一助にしたい」とあいさつして、一人一人が慰霊碑に玉串をささげました。昭和51年に慰霊碑を建てるのに携わった四堂子隆さんは「毎年終戦の日は、いつもとは違った気持ちになります。私たちが語り継ぐことで、皆さんに最後の特攻隊のことを覚えていてほしいです」と話していました。
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66年前の8月15日、終戦を伝える玉音放送のあと、大分市内にあった海軍航空隊では、司令官の命令で、この司令官を含む23人が特別攻撃隊として沖縄方面に出撃し、このうち18人が命を落としました。この事実を後世に伝えていこうと、大分市内の慰霊碑の前で、「最後の特攻隊」と呼ばれる隊員たちが出撃した時刻の午後4時半に合わせて、慰霊祭が行われました。慰霊祭には、地元の人などおよそ30人が参列し、地区の自治会長の本田栄さんが「最後の特攻隊のことをしっかりと語り継ぐことで、平和をつくる一助にしたい」とあいさつして、一人一人が慰霊碑に玉串をささげました。昭和51年に慰霊碑を建てるのに携わった四堂子隆さんは「毎年終戦の日は、いつもとは違った気持ちになります。私たちが語り継ぐことで、皆さんに最後の特攻隊のことを覚えていてほしいです」と話していました。
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Posted by アイル新日本 at 23:17│Comments(0)
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